そんな M幼稚園ですから とら君が
幸せのはずはありません。
ほっておかれた?
それなら まだ ましでしょう。
とら君は 家で 大声で わめくようになりました。
「てめぇ ぶっころしてやる」 「おまえなんか いきてる かちはない」 etc
そして しょっちゅう けがをして帰って来ました。
おでこ 半分もある 大あざ。
顔中 真っ赤に染まった鼻血。
この鼻血は お迎えの場所で 待っていたら みんなで 並んで帰ってきたとら君の 顔が 血まみれだったのです。
鼻血出したのは だいぶ前のようで もう固まっていましたが ふき取ろうとした形跡もありません。
例によって S先生は 「園長から」を 繰り返すばかりなので 私は 園長に電話しました。
そうしましたら 「けがの状況を おかあさんに客観的に把握していただくために そのままふかずに 帰宅させましたの」
「あの顔で 園で 何時間かすごさせ その後 街中を歩いて 待ち合わせ場所まで 連れて来られたのですか」
でも 園長は ↑の説明を繰り返すばかり。
そして 私が あまりに 園でのけがが多いように思いますが と尋ねると
「そうなんですよ。本当に 落ち着きのないお子さんで 転んでばかりいるんです。
失礼ですけど ご家庭か おかあさんの躾に 何か問題が あられるんじゃありませんこと」 だ そうです。
こんな 状態で なぜ とら君を救ってあげることができなかったのか…
当時は 私は 親の会にも 入っていず みけ君は 多動真っ盛りで 本当にどうしていいか わかりませんでした。
この当時のとら君の 苦しみを思うと 私は 自分で自分を殴ってやりたい…
こういう状態ですから とら君の運動会での様子は メチャメチャでした。
その ひどさは 見に来ていたおとうちゃんが ショックを受けて その後 何年も 子供たちの 運動会に 来てくれなくなったくらいです。
さしもの 私も 転園を 考え出しました。
その頃 月例の園長の 講演会に みけ君と一緒に行った私は 園長に呼び止められました。
「確か みけ君は 4月から幼稚園の 年少さんでしたよね。」
「はい… そうですが…」
「でしたら みけ君も ぜひ うちの園にどうぞ」
「えっ でも みけ君は とら君よりも 多動がひどくて もっと大変ですが…」
そうしたら 園長 おっしゃいましたね。
「まぁ おかあさん。 私は 子どものためにする苦労を 苦労と思ったことなんか ありませんわ」
もちろん いくら大バカな私だって もう こんな言葉に騙されるはずもなく。
そして また 社宅のみんなと一緒のところがいいとか 家から近いとか そんなことも考えず 隣の市まで範囲を広げて探した結果 市のはずれですが 統合教育を かかげる Y幼稚園を 見つけることができました。
そして Y幼稚園とお話して とりあえず みけ君を 年少さんの前の段階の ひよこ組というのに 週3日通わせることになりました。
ただ それは 私の付き添いが 条件でしたので とら君を 余計ほっておくことになってしまったのかもしれません。
Y幼稚園は 統合教育をかかげているだけあって 園長先生はじめ先生がたも しょうがい児に対して とてもしっかりした考えをお持ちでした。
逆に それが 私の耳に痛いこともありましたけど とら君も 4月から Y幼稚園に転園しようかな と考えている時に 運命のクリスマス会が あったのです。
2002.09.08
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