6      とら君の幼稚園選びの失敗 1
「自閉症と診断されるまで」に 書きましたように とら君がしょうがい児と診断されたのは 2歳の時
「この子は 脳に傷があるから 一生しゃべれないし 将来は精神病院」でした。
そのとき その先生が おっしゃった更に罪深いこととは 「児童相談所や医者に相談したりしたら この子はたちまち親から引き離されて 施設に入れられちゃうわよ」 でした。
 
当時 若くて 今以上にしょうがいについても 世間の仕組みにも無知だった私は この言葉を真に受けてしまい しょうがい児だと 言われたとら君をかかえて 児童相談所にも お医者さんにも相談することもできず 私は 絶望的な気持ちで毎日がたがた震えながら 過ごしていました。
 
「なんとかしなきゃ なんとかしなきゃ。
でも どうしたらいいかわからない。
誰かに 相談したいよぉ。でも 相談したら
とら君は 施設に入れられてしまう」
当時 私の様子はこんな感じでした
そして こどもたち様子は…まったく覚えていません。
医学的には どういうのかわかりませんが
このときのあまりのつらさは 私から記憶を奪ってしまったようです。
 
そんななか どうしてN幼稚園を思いついたのか…
N幼稚園は 地元でとても評判の高い幼稚園でした。
キリスト教がベースで 字を教えたりするよりも 子供の情緒を豊かにすることに 力を 入れているということでした。
ただ 人気幼稚園で募集定員が少なく 入園は 試験などはありませんが 申込の先着順で 入園が決まるというので 願書申込の 3日も前から保護者が徹夜で幼稚園前に並ぶという話でした。
 
今 振り返れば 自閉症は脳の器質しょうがいですから 上記の先生の「脳に傷があるから」は 色々他に問題はあるにしろ まちがいではなかったとも言えます。
ただ 当時はまだ 情緒しょうがいと思われていましたし 私も 子供の情緒を豊かにすることに力を入れているN幼稚園なら
とら君にとてもいいかもしれない それに 幼稚園だったら とら君を施設に入れたりしないかもしれない と考えました。
 
でも N幼稚園を 思いついたのは とら君が 「脳に傷がある」といわれてから 1年以上たった 夏でした。
それほどの 人気幼稚園空きなどあるわけないし でも来年の 募集まで待てない…
思い切って N幼稚園にお電話してみました。
そうしたら 「あら 今日 ちょうど年少さんが ひとり転園されたの。よかったら
9月から来られますか」
 
天のお導きという気がしました。
そして とら君は 4歳になったばかりの
9月から N幼稚園に入園しました。
今 必死で 記憶を振り絞っているのですが 入園に際しての 面接などもなかったように思います。
「来るものは拒まず」ということなのでしょうか。
私としても 「はい この子は脳に傷があるので 将来は 精神病院だそうです」とも言えませんし。
 
N幼稚園は 本当に素晴らしい幼稚園でした。
N幼稚園に素晴らしさついては また 別の機会に書かせていだきます。
ただ 言えることは 園長先生はじめ 穏やかで誠実な先生 やさしい園児さんたちに 囲まれて とら君は すごく落ち着き
できなかったこともどんどんできるようになりました。
 
とら君は 9月入園でしたから 秋の運動会ではなにもできませんでしたが 12月のクリスマス会では 舞台の上でせりふまで
言いました。
とら君は 結局 N幼稚園は半年しかいませんでしたが とら君の園での様子を伝えてくれる先生からの 連絡帳は4冊にもなりました。
 
ようやく 訪れた穏やかで心安らかな日々。
私も ようやく落ち着いて 園の先生に ご指導受けて 子供たちに絵本の読みきかせをしたり 園の先生に勧められて あれほど恐れていた児童相談所の先生に 会ったするようになりました。
もちろん 児童相談所の先生からは 「とら君を 施設へ」 なんて 言葉は一言もきかれませんでした。
 
ところが この穏やかな幸福な日々の中に
次の幼稚園選びの失敗の芽が 潜んでいたのです。
N幼稚園が 悪いのではありません。
私が 悪いのです。
日々 成長していくとら君の姿に 「幼稚園っていいなぁ。幼稚園に入れさえすれば」 という 幼稚園に対する過大な期待が 私の心の中に しっかりとできてしまったのです。
 
そして とら君が 年中にあがる年の 3月
転居が決まりました。
 
                  200.09.08
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
更新日時:
2002/09/28
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Last updated: 05/05/07

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