とら君は つたい歩きまでは 順調でした。
寝返りも はいはいも 育児書に書いてある 月齢の通りでしたし つたい歩きは9ヶ月目です。
とら君は とてもきれいなあかちゃんでした。
生後2ヶ月くらいの時 中耳炎になったとら君を 耳鼻科に連れて行ったら とら君を一目見た看護婦さんが さっとカルテを置きなおして とら君が一番に診察を受けれるようにしてくれたという「伝説」というか「神話」の持ち主です。
そのころ まだ 寝返りできないとら君のそばに ウサギがにんじんを持っている人形を置いておいたら 手を伸ばして そのにんじんを しきりにとろうとしていました。
それを 見た とら君と同じくらいのあかちゃんのお持ちのおとうさんが 「とら君は 成長が早いですね」とおっしゃいました。私は 密かに とら君は 天才児かも なんて 考えていたくらいでした。
育児日記をつけるのが 楽しかったです。
ところが 9ヶ月目につたい歩きを始めたとら君ですが いっこうに一人歩きをしようとしません。
立ち上がるのも 物につかまって立ち上がりますが 自分で畳に手をついて よっこらしょという風に 立ち上がろうとはしません。
1歳くらいから 私もすごく心配になってきました。
その頃よく言われていたのが 「おとなしいあかちゃんだと思って 親が育児の手抜きをすると 後から反動がくる」というものでした。確かに とら君は おとなしいあかちゃんでした。男の子は よく熱を出すといいますが 大病もしなかったし。
私は 自分の育児の手抜きで とら君が歩かないのだと 自分を責めました。
なんとかしなきゃと思いました。
公園にも 連れて行きました。 でも 同じ年頃の子が よちよち歩いてるそばで とら君は 公園の中を這い回ります。
すごく 恥ずかしかったです。
この頃は 見かけませんが 子どもが押して歩くと 動物がびょこびょこ出てくるおもちゃ それをとら君に押させて 歩かせました。もち手を持って歩く だから そのもち手を ちょっと離せば ひとりで歩けるようになると 私は 思っていたのです。
その ちょっとが 限りなく大きかったのですが。
児童相談所にも 保健婦さんにも 相談しました。でも はっきりしたお答えは いただけません。
その頃の 育児日記には 笑っちゃうくらい哀しい記述がありました。
「今日は 8の日。8は 私のラッキーaBきっと 今日とら君は 歩き出す」と。
そして 私は 育児日記つけるのをやめました。楽しみでつけていた日記が ものすごいプレッシャーに 変わったからです。
こうして 生育暦を書くようになるなら 現実から目をそむけず きちんとかいておけば良かったと思います。
そして 1歳3ヶ月の時 児童相談所に 都会から しょうがいの専門のお医者さんが いらっしゃると聞いて とら君を診ていただくことになりました。
お医者さんは とら君を裸にして 身体を触ったり 終いにはとら君の足を持って 逆さにしたりして 調べられた後 こうおっしゃいました。
「この子は どこも悪くありません。そのうち 歩き出しますよ。僕は 職業柄 たくさんのしょうがい児を 診ていますが とら君は しょうがい児ではありません」
これは その先生を恨んだり貶めたりするために書いているのではありません。
とら君の しょうがいは それくらい難しいものだったということです。
それを うかがった私は 肩の荷が下りた気持ちでした。
そして 1歳6ヶ月。
遊びに行った温泉の旅館で とら君は いきなり歩き出しました。
抱っこしていたとら君を 旅館の部屋の中に おろしたところ とら君は少し部屋の中をきょろきょろしていたと思うと いきなり ひとりで歩き出したのです。
「あっ 歩いたっ!!」おとうちゃんと私は 思わず絶叫でした。とら君は その部屋にあった家とは違う型のテレビに 興味を引かれたらしく まっすぐ テレビに歩いていくと テレビの裏を覗き込んだりしています。
その後も いままで 歩けなかったのが ウソのように部屋の中を歩き回っています。私は 嬉しい半面ドキドキしました。
なんだろう これは?もしかして この温泉の効能で 家に帰ったら また歩けなくなるのでは なんて おバカなことを考えていました。
もちろん 自宅に帰ってからも とら君は 歩けました。
その時の 私の 嬉しかったことといったら。
とら君が 歩けないということのみに気をとられ また歩き出したという喜びに目がくらみ とら君の言葉の出が遅いという 大きな問題に 私が気がついたのは もうしばらく後でした。
2002.07.12
|