みけ君は 2歳から5歳くらいまで ものすごく多動でした。
落ち着きがないというだけじゃなく 親の手を
振り切ったり 園のちょっとした塀のすきまからでも 脱け出して 行方不明になってしまうのです。
そのときの 私の気持ちを
2003年2月28日の 「あしあと日記」に
「命」というタイトルで 書きました。
同じタイプの子どもをお持ちの親御さんは もちろんですが…
「子どもから 目や手を離す親が悪い」という
お考えの方に 決して言い訳するつもりではないのですが こんな親の気持ちも知っていただきたくて こちらにも 転載してみました。
「命」
街で 救急車を見かけると 心と体が
すうっと 冷たくなります。
みけ君は 幼稚園の年少さんくらいの頃
よくいなくなりました。
園の生垣や門の隙間から逃げ出したり
スーパーで私がレジでお金を払っていたり 商品の賞味期限に気をとられているちょっとした隙にだったり。
園では 先生たちが探してくださいましたが スーパーでは もちろん私が必死で探しました。
でも 見つからない…
そうなると おまわりさんにお願いすることになりました。
やってこられたおまわりさんは 必ず
「どこか 物陰が 試着室に入って遊んでいるんじゃないですか。もう一度 店内を探してみましょう」
と 言われました。
当時の私は なんてのんきなことをと とても腹が立ったのですが 最近知ったところでは そういう場所にいるお子さんも多いようですね。
でも みけ君の場合は違いました。
お店を飛び出して どこかに行ってしまっているのです。
お店の中にみけ君がいないとわかって
外に探しにいこうとするおまわりさんに 私は 思わず声をかけていました。
「おまわりさん A型ですから」
「はっ?」
「血液型は A型ですから。見つけたとき もし 大けがをしていたら すぐ輸血してやってください。命だけは 助けてやってください」
困り果てたような顔になるおまわりさん。
「おかあさん…そんな 先の悪いことばかり 心配しなくていいから」
「お願いします。 見つけてください」
おでこが ひざにつくくらい 頭をさげて
オネガイシマス オネガイシマス ミツケテクダサイ
そして 私も とら君の手をひいて 探せる範囲を探し回るのですが みけ君は見つかりません。
次に 私が 電話するのは 119番でした。
「はい 救急車ですか。消防車ですか」
落ち着いたきびきびした声。
「どちらでも ないのです…」
「えっ?」
「子どもが いなくなりまして… 救急車で どこかの病院に運び込まれていないかと…」
でも みけ君らしい子は 救急車で運ばれた様子はありません。
「おかあさん 無事 見つかるといいですね」
いたわるような 電話の向こうの声。
その頃には もう 私の心の中は ぐちゃくちゃで 心の中で 同じことばを繰り返すだけ。
カエシテ カエシテ みけ君ヲ ワタシニカエシテ。
ワタシガ ワルカッタノ。
ウッカリ テヲハナシタリスルカラ。
モウ ニドト テヲ ハナシタリシナイカラ。
ダカラ みけ君ヲ カエシテ。
そして
オネガイデス。
みけ君ガ イキテイテ クレマスヨウニ。
私にとっては 永遠とも思える長い長い時間のあと 幸いにもみけ君は いつも 無事保護されました。
お礼を言って 迷惑をかけましたと お詫びをして 涙が出てくるのは 必ずそのあとでした。
安堵の涙。情けない涙。つらい涙。
こんなことがずうっと続くのだろうかという 絶望の涙。
そして 生きていてくれてよかった という喜びの涙。
あれから 10年以上たった今 こねこたちを想うとき やはり 根本にあるのは
「生きていて」
です。
あの みけ君がいなくなってしまって どこかで事故にあってしまったのではという心が真っ白になってしまったときに
ひたすら念じていた 「生きていて」という 想いです。
だけど 最近は 「生きていて」を 基本に 更なる想いが加わりました。
「幸せに生きて」
なにが こねこたちにとって 幸せなのか どうしたら 幸せにしてあげられるのか。
まだ 明確には ことばにできないけれど。
こねこたちにとって 「なにが」「どうしたら」と いうのを探し こねこたちのために それを手に入れられるように努力する。
それが 私にとっての 「生きる」って ことなんじゃないかなと 最近 そう思えるようになりました。
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