ちょうど 園や学校に入るために 関係機関とお話し合いをする時期のようなので こんな文章を私のウェッブ日記から 転載してみました。
もう 10年も前の話ですから 参考になるかどうかわかりませんが。
2002/05/16 「ねこのあしあと」より
「涙は女の武器」と エライ人が言いました。
私の感想。
なにいうてけつかるねん
と言いつつ 私も涙を武器にしてしまったことあるんだよなぁ。
別にそう意図したわけではないのですが…
とら君が小学校に入学する歳で みけ君が年中になるとき おとうちゃんが★県から ●県◎市に転勤することになりました。
社宅がないというので おとうちゃんが飛行機で ●県まで行って ◎市の隣の△市に家を見つけてきました。
ところが 私が△市について 調べてみたらこれがよくないです。
健常の子が通う幼稚園も 市内に二つしかないばかりか 障がい児は幼稚園にも保育園にも入れてもらえないのです。
●県の児童相談所に聞いたら「どんな端っこでもいいから ◎市に住みなさい。△市に住んだら 何の援助もしてあげられません」
そして 子供のために◎市に住みたい私と 不動産屋さんに気兼ねして△市の家をキャンセルできないおとうちゃんと 史上最大の大喧嘩。
どんなにすさまじい喧嘩かというと おとうちゃんが泣きながら自分の親に電話したくらいです。
はい 私は亭主を泣かせた鬼妻です。
そんなにまでして住んだ◎市ですが 幼稚園はたくさんあるのですが 障がい児はどこも入園させてくれません。
障がい児は 保育園へと言うことですが
保育園でしょう。
母親が働いていなければなりません。
私 職業安定所に行きましたよ。
そうしたら 言われました。
「子供を 保育園にあずけなきゃ
働けるわけないでしょう」
「働かなきゃ入れてくれない」と言う保育園と 「保育園に入れなきゃ働けない」と言う職安。
板ばさみ どーせーちゅうねん
この点は「求職中」ということで クリアしたのですが 次に出てきたのが「加配」の問題。
「当市では 障がい児の入園には加配をつけることが条件です」
「ああ そうですか。じゃ つけてください」
ところが 4月の頭に引っ越してきたので 加配がいません。
加配が 見つかるまで自宅待機。
入園許可は 月末にということになりました。
ところで そのころ前にも書いたのですが 当時私の父ががんの末期で
明日をも知れぬ命でした。
車で 3時間くらいかかったのですが 土 日ごとに 父のお見舞いに行きました。
でも 月末ごろにはもう…と言うお医者さんのお話でした。
私は ◎市役所の保育園の入園の係りの※さんに電話して 父の病状など話し 月末には実家に帰るので 実家の電話番号をお教えしますから 入園許可が出ましたなら 実家の方にご連絡くださいと頼みました。
ところが ※さんは頑としてダメだと言うのです。
「月末に入園許可がおりた時 ◎市の自宅にいなければ 許可は取り消す」と言うのです。
いくら頼んでもダメでした。
いまから いくら考えてもどうしてあんなイジワルなことを言ったのか見当もつかないのですが。
仕方無しに 私は 月末に◎市の自宅で待機していたのですが 入園許可の電話はなく 父は4月30日に亡くなって 私は父の 死に目に会えませんでした。
あの時 みけ君の入園を一年あきらめてでも 父の死に目に立ち会うべきだったのでしょうか。
答えはでません。
でも この苦しい想いは 一生私の胸から消えないでしょう。
父のお葬式も終わり一段落ついて ◎市に戻りました。
私は ※さんに電話して「加配はどうなったでしょうか」とお尋ねしました。
そうしたら ※さんはこう言ったのです。
「途中から来て ゼイタク言うな。加配は見つからない。入園は 一年あきらめろ」
ぶちっ!!!理性がぶっ飛びました。
父の死に目より みけ君の入園を優先したのは 誰でもない私の判断ですから ※さんを恨むのは 筋違いかもしれません。
でも… でも… あんまりだぁ。
一瞬 市長に訴えてやろうかと思いましたが 偉けりゃいいもんでもないと思いなおして ※さんの上司の課長に電話して 抗議しました。
と言うより 泣きわめきました。
「●県は みんな心の温かい人情にあふれた県だと聞いていたのにぃ」etc
そうしたら課長さんは きっぱり言いました。
「わかりました。私に一週間だけ 時間をください。必ず加配を見つけて お子さんを今月中に保育園に入園させます」
今から思うに 公務員で課長という立場にある人が 日時をきって 確約すると言うのは大変な勇気のいることだったでしょうに。
そして 本当に二日後に 加配が見つかって みけ君は無事保育園に入園できました。
たけど あとから聞いたら加配探しに関係ない部署まで巻き込んで ◎市役所上を下への大パニックだったそうです。
あのね 私がこれを書いたのは「だから あなたも泣きわめきなさい」と言うのではありません。
周りをかえていくのには みんなで力をあわせて地道な努力をしていくのがベストでしょう。
私のように 単身切り込んでいくのは 敵をつくります。
私も 反省して菓子折り持って 課長と※さんにお礼とお詫びに行きました。
ところが ※さんは私を見るとぷいっと席を立って部屋を出て行ってしまいました。
私の顔も見たくなかったのでしょう。
子供のためですから 私が嫌われるのは別になんぼでも嫌ってくれてもいいですが
中には
「女ごときに コケにされた」と 怒る人もいるそうですから。
うちは おとうちゃんが何もしてくれないので 私がでしゃばるしかないのですが 世間の話を聞くと 母親が何ぼ頼んでもダメだったことが 父親が出て行ったとたん 相手の態度がころっと変わって あっという間に話がまとまったと言うことが良くあるようです。
交渉事は おとうさんに任せましょう。
でも もし どんなに心をこめて頼んでもダメな時は ダメでもともとで 私のように泣きわめいてみるのもいいかもしれませんね。
もちろん 泣きわめくのはおとうさんじゃなくおかあさんですよ。(笑)
今日も 読んでくださってどうもありがとう。
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