父の日
2002/06/16 「ねこのあしあと」より
 
今日は 「父の日」です。
子供たちから おとうちゃんにあげるプレゼントを こっそり用意しておきました。
 
実は 「母の日」のカーネーションの話のとき 私がすねたようなことを書いたら Mさんが 「うちでは 自分が花を用意して 子供たちからおかあさんに渡させます。『お花をあげると ママは嬉しいみたいだ』とわかるだけでもいいのでは」と言うようなことを コメントくださって その思いやりあふれる言葉に 私のかたくなな心が溶かされたのです。
Mさん どうもありがとう。
 
で とら君は 行けなかったけど みけ君と二人でデパートに行って 靴下を三足箱に入れて ラッピングしてもらっておきました。
もちろん みけ君が 選びました。
 
で 今朝 子供たちに 箱を持たせて「さっ これ おとうちゃんに渡すんだよ」
箱を持って しすしずとおとうちゃんに近づく子供たち。
おとうちゃんに 箱を差し出します。
「なんだ これ?」
不思議そうなおとうちゃん。
「おとうちゃんに『ありがとう』って言いなさい」と私。
「ありがとう」声を揃えて言う子供たち。
まだ 事情が良く飲み込めない顔のおとうちゃん。
「今日は 『父の日』だから」と 説明する私。
「あぁ〜 『父の日』かぁ〜」
子供たちのプレゼントの靴下は 
おとうちゃんにとても喜んでもらえました。
よかったね とら君 みけ君
 
「父の日」というと どうしても私の
亡き父のことを思いだしてしまいます。
とら君が 障がい児施設の先生に「将来は 精神病院」なんて言われて 
私がどん底にいたとき
「ちゃんとした病院で 診断を受けなさい」と 私を叱咤してくれたのも父でした。
結局 根性無しの私は グズグスとためらっているうちに どうもみけ君も…ということになり そして 転居しました。
 
その転居先で 色々なつてをたどって 「自閉症」では とても有名な先生に診ていただくことになりました。
でも その先生のいらっしゃるところは 都会で午前中しか診てくださらないので あの殺人的ラッシュの電車に子供たちを乗せなくてはなりません。
ただ その頃 私の両親が父の仕事の関係で 先生のいらっしゃるところから少し離れていますが 都会に住んでいたので 子供たちと私で前の晩 両親のところに泊めてもらうことにしました。
 
その晩 先に食事を済ませた子供たちと私が 両親の部屋でくつろいでいますと 父が仕事先から 帰って来ました。
そして 私に黙って 紙袋を差し出します。
「なに? これ?」
開けてみると 中から 真新しい子供用の下着が2組。
「そんな 立派な先生に診ていただくのだから きれいな下着を着せていきなさい」と父。
私は その頃 自分なりに「自閉症」について調べていて 「脳の障がい」らしいという知識があったので 子供たちの体の検査をするとは思っていなかったのです。
仮に 思っていたとしても 下着まで思い至りませんでした。
でも 昔人間の父は 一生懸命考えて「そんなに高名な先生に診ていただくなら…」と 孫たちのために 下着を買って来てくれたのです。
泣けました。
 
そして 翌朝 出勤する父と私たちに付き添ってくれる母と子供たちと私で家を出ました。
と 父がすたすたと車道に出て行きます。
そして 走ってきたタクシーを停めると 私にお金を渡して 
「例え 短い距離でも満員電車に 子供たちを乗せるんじゃない。タクシーで 行きなさい」 
また 泣けました。
 
実は その高名な先生に診ていただく時に やはり密かな期待があったのです。
先生が 「はっはっはっ」とお笑いになって 「ふたりとも 少し発達が遅れてるだけですよ。心配することありませんよ」と言ってくださるのを…
もちろん そんな甘い期待は裏切られました。
でも「自閉症」と言われたわけでもないのです。
ふたりとも「自閉的傾向の強い性格」でした。性格…
それから また私の苦しい 心の旅が始まりました。
今でも 正直苦しい時はあります。
でも そんな時 私を支えてくれるのは 父の優しさ 父も私にあんなに良くしてくれたのだから 私だって子供たちに…という想いなのです。
 
今日も 読んでくださって どうもありがとう。
 
 
 
更新日時:
2002/10/03

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Last updated: 07/08/11

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