Last updated: 07/06/18


8    枕草子   清少納言
H15年1月21日(火)
 
「枕草子」って あの「枕草子」のことです。
学校で 古文の時間に習った。
 
「枕草子」は 千年たった今でも なお色あせることなく輝き続ける名作であるというのは みんなのかわらぬ思いでしょう。
でも 作者「清少納言」に ついては なにやら誤解されているような気がするのです。
 
「清少納言」は 生没年不詳 本名不明 二回結婚して こどももいたようなのですが 戦前は学者の間でも 独身だと考えられていたと聞いたことがあります。
理由 「あんな生意気な女が お嫁にゆけるわけがない」
 
清少納言を 生意気だから嫌いだという人は 華やかな宮廷サロンで その学識と才気を惜しみなく発揮した 「香炉峯の雪」のエピソード(第248段)や 愚直な平生昌を 辛らつにやり込めたエピソード(第5段)などを 思い浮かべられるのかもしれません。
 
確かに これらのエピソードのみを見た場合 清少納言という人は鼻持ちならない とても 意地の悪い人に思えます。
私も 高校生くらいまでは 
「枕草子は 自然について描かれたところは好きだけど 清少納言という人は あまり好きになれない」と 思っていました。
 
ところが 大学である先生が教えてくださったのです。
「枕草子は 中宮定子への清少納言の 『鎮魂の書』なんですよ」と。
 
清少納言が仕えた中宮定子は 悲運の人でした。
関白にもなった藤原道隆の娘として産まれ 一条天皇の元へ 入内。
才気煥発でありながら おおらかな優しい性格を一条天皇に愛され 一時定子のサロンはとても華やぎます。
しかし 父道隆の死によって 権力は道隆の弟 定子にとっては叔父にあたる道長に移り 兄伊周・隆家は都を追われ 定子も実家で謹慎 いったん落飾 さらに実家は焼失と 不幸が立て続けに襲い 定子は孤立無援となります。
のちに 伊周・隆家は赦されて都に戻り 定子も宮中に戻りますが その後も道長のいやがらせは続き(第5段) 道長の娘 彰子が 入内。
彰子が中宮 定子が皇后という異例の事態の中 定子は第二子を出産 そのまま 二十五歳の短い生涯を終えるのです。
 
こうしてみると 清少納言が定子に仕えた
七年余りのうち 定子とその一族の栄華はわずか一年半くらいです。
そして 「枕草子」は その栄華で光輝いていた時期に書かれのではありません。
道隆が亡くなり 伊周・隆家が追放され かつての栄華が見る影もなくなったとき
「枕草子」は 書き始められ そして定子の死後も 書き継がれていたものとみられます。
だから 大学の先生のおっしゃるのには
「清少納言は 悲痛な想いを胸に死んでいった定子の魂を鎮めるために 『定子様 こんな素晴らしいこともございましたね。あんな華やかなこともございましたね』 と 慟哭をしながら 『枕草子』を 書いたのでしょう」
 
その話しをうかがったとき 私の 清少納言へ対する見方が がらっと変わりました。
栄華の中に身を置き 高笑いしながら
「どう? アタシって才能豊かでしょ?」 
と 自慢たらたら書かれていると思っていた「枕草子」に そんな背景があったとは。
 
そういうことを知って 繰り返し「枕草子」を読むうちに 私には これは鎮魂の書であると同時に 清少納言の反骨精神の現われでもあるような気がしてきました。
 
定子が素晴らしい女性であり 清少納言がそんな定子を心から敬慕していたことは 第179段などからもうかがい知ることができます。
そして 権力者におもねるのは 世の習いとはいえ みなが定子一族を見捨て 道長へ道長へなびいていくさまは 清少納言には歯がゆく情けなく許しがたいことことだったのではないでしょうか。
 
「みんなが 道長におもねったからといったって アタシはアタシだけは 最後まで 定子様の味方よ」
 
「自分の 敬慕してやまない定子の生涯が 決して負け犬の人生ではなく こんなに光と華やぎに満ちたときもあったのだと 私だけでも 世の中にうったえていくのだ」
そういう決意をも胸に 「枕草子」が書かれたのではないかと 私には思えるのです。
 
そう思ったとき 私は 思わず
「せーしょうなごんっ あなたってなんて いい女なのっ」って 目の前に清少納言がいれば 肩を抱きしめたくなってしまいました。
 
また そういうことを念頭に読むと 第5段で やり込められた平生昌は 流罪になった定子の兄伊周が こっそり都に戻ったのを密告した人であり 清少納言の辛らつさが 単に愚直なものに対する意地悪さではないとも 思えてくるのです。
 
しかし そうは言われても やはりあの性格のきつさは どうも…と思われるかたでも 「枕草子」の中の 自然やものごとを とらえ目の透明さ ぎゅっと凝縮されたことばの中に込められたもろもろの鋭い感性は やはり素晴らしいと思われるのではないでしょうか。
 
定子のライバル彰子に仕えたのが あの紫式部です。
紫式部と「源氏物語」に ついては また別項で書きたいのですが。
よく 比較される清少納言と紫式部ですが
私は このふたりの才能はまったく違うものだと思います。
「目と心に映った対象物を一瞬のうちに凝縮させる清少納言」
「ゆったりと流れるようにことばをつむぎだしていく紫式部」
 
違うというのは違うであって どちらが優れているというものではないと思います。
名カメラマンと名映画監督が どちらが優れているかというようなものです。
 
ただ 私は 清少納言という人が好きでたまらないのです。
感性豊かで 学識もあり 才気煥発。
美しいもの優れたものを愛し。
敬慕する定子が悲運に見舞われても 変わらぬ愛をささげ続け 権力者におもねることを良しとしない。
心がどんな哀しみで彩られても それを片鱗も見せず 明るく 華やかで 透明感あふれる文章をつづれる心のたくましさ けなげさ。
 
これが 私の愛する清少納言像です。
 
 



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