Last updated: 07/06/18


11    こころをラクに あたまをクリアに  大林泉著  ぶどう社
H15年8月30日(土)
この本の副題は
「遅れのある子をはぐくむ 親と専門家のために」 です。
 
実は そんなに深い思い入れもなく 手に取ったこの本でしたが 
読み始めたら ページを繰る手が止まりません。
ついつい 読みふけり 気がついたら 徹夜で 読みきってしまっていました。
 
この本の 第1部は
「親たちの思いに耳をかたむけて」
 
ここには 赤ちゃんの時は心配なく育ってきたのが
1歳半から3歳くらいにかけて遅れが気になるようになった子どもたちの
親の言葉 親の体験がつづられています。
読みながら 思わず 心の中で叫んでいました。
 
「ああ これは アタシだ。アタシが ここにいる」
 
我が子の遅れが気になりだし 不安になる中で
周囲の人の優しいけど ピントのはずれた気休めにしかならない 言葉の数々。
 
「だいじょうぶだよ。そのうち しゃべりだすよ」
 
そんな言葉に 一瞬ほっとしたり だけど
「誰も 本当の私の不安をわかってくれない」と また落ち込んだり。
 
そして ついにやってくる「運命の日」
 
「お子さんはしょうがい児です」
 
薄々そうではないかと思っていたので しょうがい名がついたことで 
一種の安堵感をもたれるかたもおられるようです。
 
ですが やはり 我が子の「しょうがい」を 宣告されるショックは 
いかばかりのことでしょうか。
 
私自身 上の子のしょうがいは まだ我が子がしょうがい児なんて
思ってもいないときに 不意打ち的に かなり心ない言葉で 
宣告された経験の持ち主ですので 
あのときの世界中が 真っ白になり体全体が大地に飲み込まれていくようなショックは
一生忘れることはできません。
 
我が子に託していた夢 我が子に与えたいと思っていたしあわせの形 
ともに歩こうと思っていた薔薇色の未来図が
粉々に打ち砕かれた瞬間でした。
 
私は この本で しょうがいを宣告されるくだりでは
上のようなことを思い出してしまい
思わず本を置いて 自分を落ち着かせるために
何度も深呼吸をしてしまいました。
 
そして 親にとって しょうがいの宣告が ゴールではありません。
そこから つらい 苦しい日々が始まるのです。
 
まず 親は 子どものしょうがい名が欲しいのではありません。
「だったら どうしたら良いのか」という 具体的なものがほしいのです。
でも それは なかなか得ることができません。
 
それでも 逃げるわけにはいかず
我が子と必死に向かい合おうとしますが
しょうがいを持った子の場合 親の働きかけ 努力が
即 結果に結びつくわけではありません。
 
報われない努力 先のまったく見えない不安。
親の気持ちは どんどん追い詰められていき
本当に暗い暗い一点しか見えなくなってきます。
 
「どうして よりによって 私が こんな運命を?」
 
その気持ちを さらに落ち込ませる 周囲の無理解。
無理解というのは なにも心ない言葉を叩きつけるということだけじゃありません。
一見 親の気持ちを引き立て 励ましてくれようとする言葉によって さらに傷ついてしまうことがあります。
 
「心ない言葉」というのは
「もっと早く お子さんのしょうがいに気がついていれば よかったのに」などがあります。
あるいは 励ますつもりで
「◎◎ちゃんの おかあさんは とっても療育をがんばっておられるから ◎◎ちゃんは本当に伸びたんですよ」
 
こういう類の言葉は 本当に親の気持ちを傷つけ 落ち込ませます。
 
「気がつかなかった 私が 悪いの?もう 手遅れなの?」
 
「私も がんばらなきゃと思っています。でも…」
 
でも…の後には いろんな事情があると思います。
あまりに傷つき方が深くて まだ立ち上がれない。
家族の協力が得られない。 地域性。 
サポートしてくれる機関が近くにない。 
他の家族のことも放っておけない。 
妊娠中。病弱。 
経済的にゆとりがない…
 
そして 周囲の 作られた「しょうがい児の理想の親像」
「しょうがい児の親というものは 涙を見せず つらいなんて言わず 
いつも笑顔で 子どものために 自分を犠牲にしても がんばるものなんですよ」
 
なんか 変。
なんか 違和感。
だけど 私ががんばらなきゃと 気持ちを奮い立たせて 公園などに遊びに行っても 他の子たちと明らかに違う 我が子の様子。
他のおかあさんたちと かみ合わない会話。
 
もっと 傷つき 疲弊して 逃げるように 帰宅し
「だめだ。 がんばれない。アタシは ダメな親だ。」
その思いは どんどん深くなっていって
「こうして 我が子のことについて 悩むこと自体
子どもを受け入れていないって ことになるんじゃないかしら。
アタシは やっぱりダメな親なんだ」
 
深く深く やり場のない思い。
うっかり愚痴をこぼしたら
「あなたは お子さんを愛していないんですか」
と なじられそうな恐怖。
 
やり場のない思いの 行き着く先として ついには 我が子を叩いてしまう。
「いなくなってくれたら…」などと 考えてしまう。
叩いたことやそんなことを考えた自分への自己嫌悪。
逃れようのない 悪循環。
 
こんな ダークでつらくてせつない親の思いを列記したのは
この本の著者 大林 泉さんが そんな親のせつない思いを
ひとつひとつ掬い取り 親の気持ちに 寄り添った言葉を
贈ってくださっているからなのです。
 
「もっと がんばりなさい」じゃありません。
「がんばらなくてもいいのよ」でも ありません。
 
泣いてもいい 落ち込んでもいい。 
でも自分の心を 殺してしまうまで 自分を追い詰めないで。
しょうがいを持ったお子さんもとても大事。
でも それを支える立場の親の心も 大事なのよ。
そう言ってくださる気がするのです。
 
親の「こころをラク」に。
そのために 大林泉さんが 贈ってくださる言葉は
大林さんは 臨床心理士という専門家の立場であるので
意味のないその場限りの ただ 耳に心地よい
だけの 慰め言葉ではありません。
 
とても 具体的で それでいて柔軟です。
「たとえ どんな選択であれ あなたが お子さんのために 
選択されたことなのだから それを一生懸命してみましょう」
と 励ましてくださっているようです。
 
これは 私自身の思うことなのですが 人から押し付けられたものではなく 自分で 選択したことであると 多少つらくても がんばれるし。
結果が思い通りでなかったとしても でも 自分が選んだことで 
精一杯がんばったのだから と 必要以上に悲しむことも卑屈になることもないのです。
 
そして 大林泉さんは 「二人の専門家」という言葉を 書いてくださっています。
一人は もちろん お医者さんとか療育先の先生 学校の先生 保健師さんたち。
そして もう一人は 親です。
 
親は 「この子が生まれてきて以来 育ててきた経験と知識における」専門家と言えると。
 
この「親も専門家」という言葉は 自分を責め 悩み 卑屈になっていた心をしゃきんとさせ 明るく 自信を与えてくれるものだと思います。
 
「そっかぁ。アタシは 我が子の専門家とも言えるんだぁ」
 
そして 「二人の専門家」が 対等に関わり
互いに力をあわせることによって 豊かな実りが もたらされると。
 
「そうかぁ。そうなんだぁ。
だけど 対等に関わるといってもねぇ。
世間でいう『専門家』と どう関わったらいいのかしら。」
そんな 疑問に 大林泉さんは
第2部 親と専門家をつなぐ
で 答えておられます。
 
第2部では  専門家の言葉によって
傷ついてしまった事例も挙げられています。
 
私も 上の子のしょうがいの告げられ方が
あまりに心なく 将来の希望のないものであったこともあり
私の性格もあいまって まさにどん底に落ち込んでしまいました。
 
そのしょうがいの宣告から 上の子が地元の幼稚園に
温かく迎えてもらえるまでの 1年数ヶ月の間の
記憶がほとんどないのです。
その期間に 下の子もおそらくしょうがい児であろうと 気がついたはずなのですけど
それについても まったく覚えていないくらいです。
 
ですから この本の 専門家から傷つけられてしまった
事例など読むと 正直 溜飲が下がる
「そう そう いるよねぇ。こういうヒト」
なんて うなずきながら 読んでいました。
 
そして 親の気持ちに添った助言 情報の提供の仕方等
書かれているのを読み
「そうだよぉ。こうしてくれたら 親は 余計なこと苦しまずにすむのになぁ」
なんて ぶちぶちヒトリゴトを言いながら
読んでいるうちに 段々 私も居住いを正すという気持ちになってきました。
 
大林泉さんは 専門家ですから 専門家の立場からも
書いておられます。
そうすると 検査の意味や
検査と指導に関わる人が 何人もいることや
「様子を見ましょう」という あいまいな言葉や。
それらは 専門家から言うと
こういう意味があったのかぁと 理解しました。
 
そうすると  目からうろこポロリ。
あたまは そう まさにクリアです。
 
そうして 気がつくのです。
この本は 親と専門家の橋渡しをしてくれる本なのだと。
 
親は気持ちをラクにもっていいんですよ。
専門家の言動には こういう意味があるんですよ。
そう 思えば 親は どれだけ 目の前が
すっきり クリアになることでしょう。
 
そして 専門家のかたが この本を読まれたら 今まで  
「親というのは シロートなんだから
専門家たる自分が 教えてやるのだ」
という 硬直した心で 親と接し
親が自分の指導や助言に従わないと
「子どもを 受容できない親」という誤解や
逆に 「自分が 専門家として 力量不足と否定されたのではないか」
という気持から ラクになり
親と より良い関係を構築するには どうしたらいいのかが
クリアになるのではないでしょうか。
 
そして そんな親と専門家が 力をあわせれば
子どもに しょうがいがあろうとも
子どもはもちろん 親も 明るく楽しく豊かな人生を 
おくることができるのではないでしょうか。
 
ところで 大林泉さんは
お仕事柄 大勢のしょうがい児の親や専門家両方と接しておられるとはいえ 
どうして こんなに 両方の気持 立場になることが できられるのでしょうか。
 
それは…
と 言うのは あなたが この本を読まれたときの 楽しみにとって おきますね。
 
こころをラクにしてくれて
あたまをクリアにしてくれて
そうして 読み終わったとき
ふぁああと 暖かい気持ちにしてくれる プレゼントが 待っている。
 
そんな ステキな ぜひ 皆さんに読んでいただきたい本なのです。
 
 



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