受容
最近 私のHPに来てくださる人の中には
子どもさんが しょうがい児であることが わかったばかりのかたも
おられます。
「早くわが子のしょうがいを受容せねば でも なかなか受容できない」 と 
苦しんでおられる姿を見ると 私は お子さんと親御さんのためには 
一日でも早く 受容できる日が来ますように。
でも 親御さんは 無理やり一刻も早く受容しなくてはと 自分で自分を
追い詰めないでほしいと 複雑な想いにとらわれます。
それで 昔 私が ウェッブ日記時代に書いたこんな文を 
持って来てみました。
 
 
2002/06/07 「ねこのあしあと」より
 
最近 いろんなHPや日記にお邪魔するようになって それはそれは楽しい〜♪
すっごく 勉強になるし 療育や障がいのことだけじゃなく そう世界が広がったという感じ。
PCしてて良かったと心から思います。
これからも HP 日記めぐり続けたいです。
BUT 正直言って 圧倒されると言うか 自己嫌悪みたいなもの感じちゃうこともあるのです。
みなさん お仕事や主婦をされていて そのうえ個性豊かなHPを作るPCの知識 療育や障がいに対する知識 さらに カメラ 手芸 料理 絵画  ボランティア活動 会を主催されてる人も…
アタシなにやってんだろって 恥ずかしくなっちゃいます。
だけど 何より私をびっくりさせるのは お子さんの年齢の小ささ。
小学校低学年から 3歳まで!!
それでいて ちゃんとお子さんと一緒にお子さんのスピードで歩いていこうとしている…
 
私 とら君が3歳と言ったら「将来は精神病院」ショックで(しつこくてごめんなさい)
記憶喪失の真っ只中。
小学校低学年と言っても 子供たちを幸せにとは思っていたけど 今みたいに安らかな気持ちで 「子供も親も幸せになれるようにがんばろう」なんて 思えるようになれたのは 本当にここ最近。
うん 昔は「なんでふたりも」って 自分のこと思いっきり不幸だと思っていました。
今は 「大変だけど不幸じゃない」と思ってるし 子供の状態が良くて私も気分が明るい時は 「障がい児二人育てるなんて 結構私の天職かも…」なんて思ったりします。
そして そんな時私が思い出すのは 「おしゃかさまと灰」の話。
 
最愛の娘が死んでしまった母親が おしゃかさまに娘を生き返らせてくれるように頼みます。
おしゃかさまは おっしゃいます。
「いままで 一人も死者を出していない家のかまどの灰(庭の木の実という話もあり)を持ってきなさい。そうしたら 娘を生き返らせてあげよう」
 
話は ここでふたつのバージョンに分かれます。
ひとつは その言葉をきいて 母親ははっと自分の考えの間違いに気づくと言う話。
そうして もうひとつは 母親は 本当に灰を探しに出かけるのです。
今まで一人も死者を出していない家を探して 一軒一軒訪ね歩いて 足の裏は擦り切れ 爪ははげ ぼろぼろになって母親は 灰を捜し求めます。そして 段々悟っていくのです。
人は みな必ず死ぬものなのだと…
 
私は 後者の話が好きなのです。それは 自分が後者のタイプの母親だと思うからです。
もちろん どんな人だって親である以上 子供の障がいを告げられた時 瞬時に納得した人なんかいないでしょうし 一見落ち着いているように見えても 心の中ではまだ葛藤や苦しみが続いているでしょうし 私がそうであるように子供の状態が悪いと せっかくの決心が揺らぐこともあるでしょうけど。
でも やっぱりみなさんひとつの境地に達してらっしゃるみたいで 本当に素晴らしいと思います。
 
私は どんなに苦しい時でも 子供たちをよその子と取り替えたいなんて思ったことは 一度もありません。
でも 子供たちがよそのもっと良いおかあさんのところに生まれてきていたら 子供たちはもっと幸せだったのでは…と思うことはよくあります。
でも 縁あって 私のところに来てくれたのだから 私は良いおかあさんであるように努力しなければと思っています。
 
灰を捜し歩いた母親は 一人でぼろぼろになりました。
私は 両手に子供の手を引いて 一緒にぼろぼろになってきたし これからもぼろぼろになるかもしれません。
だけど なにがあっても 子供たちとつないだ手は離すまいとそう心に決めてる 一人のダメなでも一生懸命な母なのです。
 
 
追記
いろんなタイプの子どもがいるように いろんなタイプの親がいると思います。
どうか どうか 必要以上に 自分を
苦しめないでほしいです。
本当に そう思います。
 
 
                  2002/10/10
 
 
 
 
 
 
更新日時:
2002.10.29 Tue.

自閉症に対する誤解
 
先日テレビを見ていたら 出演者の人が あるタレントさんのことを 
「あの人は 一時 『自閉症』だったから」 と言ったのです。
そのタレントさんが仕事でも私生活でも不遇の時期があったので 
当時の気持ちが落ち込まれた状態だったことをそう表現されたようなんですが。
 
私は 「自閉症」ということばが こんな風に間違った使い方をされ テレビという媒体を通じで 広く世間に流布されたことに 驚き 悲しくなりました。
テレビ局に抗議しようかと思いましたが 話しの流れの中のことで テロップが出たわけでもなく どうしたものかと今思案しています。
 
私が思うに 「自閉症」について理解を求めるときには 「自閉症」の正しい知識は
もちろんですが 自閉症の人をフォローする方法も併せて 伝えたいです。
 
伝える相手は 教育、福祉の仕事をしている人はもちろんですけど 健常児の親御さんにも正しい知識を持っていただいて 家庭できちんと教えていただいたいです。
更に言えば 小学校の授業で主だったしょうがいの正しい知識とフォローの仕方を 教えて欲しいです。
そうすれば 次世代はしょうがいをもった人にとって もう少し住みやすい世の中になるのではないでしょうか。
 
そして 今 私のできることとして 「光とともに…」を こどもたちの学校の図書室に 置いていただいています。
公立の図書館にもお願いしたのですが 「まんがはだめです」と 断られてしまいました。
でも 私も 「自閉症について理解していただくのにとてもよい本だと 思いますので」と 今 再度交渉中です。
 
本当に こんなささやかなちっぽけなことしかできませんが 世間の「自閉症」に対する誤解を解き 理解をしていただくために なにかしたいのです。
更新日時:
2002.10.29 Tue.

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Last updated: 11/09/09

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