こねこたちが 小さい頃は 
私も こねこたちに いろんなことを教えたり 一緒に何かしたりと 
そりゃがんばって 一生懸命働きかけをしたけれど。 
こねこたちには 思ったような成長が 見られなくて。
まるで 砂漠に せっせと水をまいているような 
虚しい気持ちに囚われたことが 数限りなくありました。
 
でも 最近になって 本当に最近になって
こねこたちは 目覚しい成長ぶりを 見せ始め 
私は 砂漠に水をまいていたわけじゃなくて 
コップの中に 一滴 また 一滴と 
水を注いでいたんだなぁと 気がつきました。
 
そうして 一滴ずつ 注がれた水は 
ある日 コップから 一気にどっとあふれ出すのだと。
 
ただ そのコップの大きさは とら君みけ君じゃ 違うし。
更に言えば とら君の中にも みけ君の中にも 
無数のコップがあって それらのコップは 全部大きさが違うから。
 
同じように 水を注いでいても 早くいっぱいになる小さなコップもあれば。
なかなか いっぱいにならない 大きなコップもあって。
 
それが とら君とみけ君の 成長の早さの違いであり 
個性なのでありましょう。
 
でも 私が 子どもたちに 働きかけていることは 無駄じゃない。
いつか きっとを 信じられるようになったから。
 
あせらずに そして あきらめずに。
私は 一滴ずつ こねこたちに 水を注ぎ続けようと思うのです。
更新日時:
2005.03.05 Sat.

共感
時々 「子どものタイプが違うから 共感できません」
と はっきりおっしゃる人がいる。
たぶん その人は 正直で ある意味誠実なのかもしれないね。
 
でも そう言われてしまった私の気持ちは
まさに 「取り付く島が無い」で 心が沈む。
 
共感って なんだろうね。
同じ立場じゃなきゃ 本当に共感できないのかな。
 
私の 考える共感って言うのは 例えば こんなこと。
 
友達との待ち合わせの場所に現れた私が
嬉しそうに 友達に告げる。
 
「ここに来る途中 とっても綺麗な赤い花を見たのよ」
 
友達も 笑いながら 言ってくれる
 
「へぇ それは良かったね」
 
でもね その時 私が心に思い浮かべている「赤い花」と
友達が思い浮かべている「赤い花」は 別のものだと思う。
 
人間てさ 自分の体験した記憶からしか
イメージを作れないじゃない?
 
だから 私の綺麗な赤は ピンクがかった赤で 
友達の綺麗な赤は 真紅かもしれない。
 
花も 私の伝えた花は チューリップで
友達が イメージしたのは 薔薇かもしれない。
 
まったく違うものを 思い浮かべながら
でも 私が綺麗な花を見て喜んでいることで 友達も喜んでくれた。
 
そのことを 私は 共感してもらったと思う。
 
だから 私は 立場の違う人に向かってだって 
「あなたとは 立場が違うから 共感できません」
なんて 言ったりしない。
 
「あなたのお気持ちを 全部理解することは 無理かもしれません。
でも できるだけ 理解できるようになりたいと思っています」
 
そうして 初めて その人との間に 心の交流が始まり 私の世界も広がるんだよね。
更新日時:
2005.06.25 Sat.

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Last updated: 11/09/09

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