天使
2005年8月13日の 「あしあと日記」に
こんなことを書きました。
 
「この前ね ある人に こねこたちを 今まで育ててきた苦労や
これから先の不安などを 話していたのね。
 
そうしたら その相手の方が
私に こう 言ったの。
 
『でも そういうしょうがいを持った子を育てたおかげで 健常の子を育てていたら 味わえない喜びや 素晴らしい体験をできたんだから 良かったじゃないの」
 
って。
 
この相手の方は しょうがい児の親ではありません。
でも しょうがいに とても理解のある人であり立場であると 思っていたから 
話しをしたのに…
 
.....(;__)/| ずぅぅぅぅん
 
 
上のようなせりふってね
私たちのように しょうがいを持った子を育てている親が 
自分で言ってこその せりふなんだと思うのですよ。
 
だからね
そういう子の 親でも 家族でも しょうがいを持った当事者でもない人が
 
「しょうがいのおかげで
他の人には 経験できないようなことを
経験したり 幸せを 感じたりできるから
いいじゃないですか」
 
なんていうのは 浅薄よ
酷薄よ デリカシーないわよ
 
レッドカードよ」
 
そして 更に この言葉の補足として
「はじめまして掲示板」に こんなことも書きました。
 
「だから 日記中に書いた心無い言葉に 落ち込んだのは
あの言葉は 
 
『親に こどもを育てる苦労を 苦労なんて思っちゃいけません
幸せだと思って 親だけが頑張りなさい』
 
と いう意味を含んだ言葉とも取れますので
(私に言ったご本人の真意は 不明です。
何も考えてなくて 単に耳ざわりの良いことを言っただけかもしれませんけど)
それで 私は 落ち込みました。 」
 
それで やはり しょうがいを持っている子どもを育ている親が言えばこそ 
素晴らしい言葉になるのであって そうじゃない人が言っちゃったら 
非常に浅薄で なおかつ 無責任に思える言葉のひとつに 「天使」があります。
 
しょうがいを持った子を 育てている親御さんに 
「私たちの子どもって 天使よね」
って言われたら
私は 心の底から同意しながら
「本当にそうよねぇ」と うなずきます。
 
でも そうじゃない人 特に しょうがいを持った人たちを 支援する立場の人たちが
「お宅の息子さんたちは 天使ですよね」
なんて おっしゃったら…
 
私は 満面の笑みを浮かべながら
こう 申し上げます。
 
「はい。私の息子たちは まさに 『天使の心』を 持っています」
 
ここで 更に 声を高めて ゆっくりと
 
「でもぉ。私の 息子たちは 身体は 天使ではありません。
だから 洋服を着なくちゃならないしぃ。
ご飯も食べなくちゃいけないんですよぉ。
 
そして 言うまでもないことですが 洋服を買うのにも ご飯を食べるのにも 必要不可欠なのは 『お金』です。
 
なので 私たち親は 子どもたちが 何とか経済的にも自立できないかと 
本人たちのスキルアップと同時に 周囲の方のご理解とご支援を
お願いしているのです』
 
ってね。
更新日時:
2005.08.15 Mon.

変化
とら君とみけ君を育てていて 思うことは
自閉症の子は 本当に周囲の変化が 苦手ということ。
 
ただ 本人たち自身は 日々変化している。
「成長」という変化を。
 
だから 私は とら君に対しても みけ君に対しても 
いつまでも 同じ対応をしていれば良いということはないのです。
 
こねこたちの「成長」に 常に気を配り 
その「成長」の度合いにあった対応をしなければならないのです。
 
とっても 大事なことなんだけど 
こねこたちと 日々共に過ごしているだけに 
逆につい 見落としてしまいがちな 
惰性に流されてしまいがちなことなんですよね。
 
気をつけなければネ。
更新日時:
2005.08.28 Sun.

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Last updated: 11/09/09

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