親の愛と役目
 
以前は 「うちの子はこんなにかわいい」とか 
「うちの子は こんなことができる」 とか 
ただ 子どもたちの良い面 得意なことだけを 
見つけてあげるのが 親の愛だと思っていました。
 
もちろん それは 間違いではないのだけど…
 
でも 最近 思うようになったことは 
しょうがいゆえに 「子どもができないこと」 「苦手なこと」も 
冷静に的確に 把握するのが 
親の愛であり 親の役目では ないのだろうかと。
 
なぜなら 「できないこと」「苦手なこと」による「生きにくさ」。
その「生きにくさ」こそが しょうがいであり 
その「生きにくさ」で 誰より苦労しているのは 
親ではなく しょうがいをもった子どもたちだと 気がついたから。
 
言うまでも無く 我が子を 他の子どもたちと比較して 
「できないこと」を あげつらい
「あなたたちは こんなことができない」と
責めるというのではありません。
 
たけど 良い部分を褒めるだけでは 
しょうがいゆえの 「生きにくさ」を 感じながら
日々を生きている 子どもたちを 
本当に 理解したことには ならないでしょう。
 
子どもたちに 向ける言葉は 
暖かい褒め言葉・励ましの言葉で 良いと思います。
 
でも それと 同時に 親の頭の中では
子どもたちの 「生きにくさ」を 
きちんと 把握してなかったら 
結局 子どもたちにとって 親というものは 
自分にとって 耳障りの良いことだけを言っているだけで 
本当の自分の苦しみを理解してくれていない
ということになってしまうでしょう。
 
そして 親が子どもの 「生きにくさ」を
ちゃんと 理解していなかったら
子どもたちが 生きることの苦しさのあまり 
何かの「困った行動」に 走ったとき 親は適切な
フォローができないです。
 
正直 私だって 子どもたちの「得意なこと」を 見つけるのは
たやすいし 楽しいです。
 
「うちの子は 何々ができないんだ」と 認めることは つらいです。
 
でも 親は そのつらさに耐えて
(だって 本人たちは もっとつらい思いで 生きているのですから)
「できないことはできないこと」として
きちんと受け止めた上で では どうしたら
子どもたちが 少しでも 生きやすくなるのか。
 
「できないこと」を すこしでも 「できるようにする」のか。
他の やり方なり 補助してくれるツールを見つけるのかなどなど
真剣に考える というのが 親の愛であり
役目ではないかと 考えるようになりました。
 
親に求められるのは 子どもたちへ向ける
温かい心とまなざし。
 
そして子どもたちの「できないこと」を
 ヒステリックに子どもたちにぶつけるのではなく 
また 見て見ぬふりをするのではなく…
 
より 子どもたちにとっての 生きやすさを考えられる 
冷静で知的で強靭な心と頭脳。
 
この両方なんだと思います。
きっと。
 
 
更新日時:
2004.10.16 Sat.

無理
 
親の夢を かなえるために
子どもたちに 
無理をさせちゃいけないと
思う。
 
でも
子どもたちの幸せのためなら
あたしは 
どんな無理でも してあげたい。
更新日時:
2004.11.05 Fri.

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Last updated: 11/09/09

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