こどもの日 なのに父の思い出
2002/05/05 「ねこのあしあと」より
 
今日は こどもの日。
子供たちを喜ばせるために ドライブに行ったのですが すごい渋滞に巻き込まれてUターン。
だって 渋滞に巻き込まれると みけ君はともかくとら君が機嫌が悪くなるんです。
パニックは起こさないものの「よーし」とか「進めー」とか叫びだします。
バスの中なんかでしなきゃいいけど。
 
こどもの日らしいことは これだけ。
柏餅もこいのぼりもなし。
柏餅は 偏食っ子のうちの子たちは食べませんし こいのぼりはあるにはあるんですが でかすぎて
一度もあげたことなし。
あれをあげようとしたら 農家の中庭くらいの広さがいるんじゃないかしら。
 
このこいのぼりは 私の亡き父の心のこもった 
孫へのプレゼントです。
父は お店で一番大きくて立派なのを選んでくれたらしいのですが 結果社宅の庭では
あげられなくなっちゃったのです。
 
私の亡き父は とても優しい人で 妻子 孫には そんなに豊かではないのに なんでも一番のものを贈ってくれる人でした。
そう書くとなんか成金ギンギン親父みたいですけど 色のセンスなんかはすごく良かったです。
 
私の子供のころの写真を見ると グレーやベージュの服にしゃれた革のバッグなんか持っています。
すごくおしゃれなお子ちゃまです。
ただ 当の本人の私が 当時その良さをわかっていたかというと 友達のピンクのフリフリワンピースやエナメルのぴかぴかバックがうらやましかったのだから しょうがないもんです。
これは 私が親になって 子供のためと思って地味な絵本を与えるのに 子供は派手な絵本を
欲しがるのに似ているような気がします。
 
父は 10年前に肝癌で亡くなったのですが 最後まで「痛い」とか「苦しい」とか言いませんでした。
父が亡くなった後 お世話になった看護婦さんたちが「あんなに手のかからない 思いやりのある患者さんはいなかった」と 父のために泣いてくださいました。
そんな父の姿は 当時障がい児をふたりもと 苦しんでいた私にいろんなことを考えさせてくれました。
うまく言葉にはできませんが ひとつは「どんなことからも 逃げてはいけない」ということでしょうか。
 
ただ 決して父を否定したり非難するわけではありませんが 弱音ひとつはかない父の生き方は 父なりの美学を通したと思いますが 私は私の夫や子供たちにはそういう生き方をしてほしくありません。
その姿は 家族から見てつらすぎます。
哀しすぎます。
どんなつらいときでも 主治医の先生に笑顔で
穏やかに話す父に 私がアドバイスしたくらいです。
「パパァ 痛い時はちゃんと痛いって言うんだよ。どんな名医でも患者さんが痛いかどうかは 患者さん本人にしかわからないのだからね」
夫にも言っています。「少しでも痛かったり 苦しかったりしたらすぐ言ってね。すぐ 病院へ行こう。変な我慢しないでね」
子供たちは 自分では言えないので 私が注意しなければと思っています。
私? 私は 少しつらいとか苦しいとか言うのを
控えるべきですね。(笑)
 
何の道楽も趣味もないような父ですが 唯一道楽といえることが 旅行かばんを買うことでした。そう 
10個くらいもあったでしょうか。
父はよく「ママ(私の母)をハワイに連れて行って
やりたい」と言っていました。
結局 それを果たせずに亡くなってしまったのですが それはハワイ用のかばんだったのでしょうか。
私は なんとなく父は仕事も家族サービスも忘れて のんびり一人旅をしたかったのではないかと思っています。
その密かな もしかしたら父本人すら気がついていなかった願望が あの旅行かばんたちではないかと…
 
いま すべてのことから自由になった父は どこの空の下をのんびり旅しているのでしょうか。
 
 
こどもの日なのに 父の思い出に付き合わせてしまって すみません。
今日も 読んでくださってありがとうございます。
 
 
 
更新日時:
2002/10/03

PAST INDEX NEXT



Last updated: 07/08/11

mieneko@myad.jpメールはこちらまで。