公文式
 
とら君が 初めて公文式の教室へ行ったのは 2歳のとき とても悪い形で とら君のしょうがいを告げられ 私が絶望と焦燥感のただなかにいたころでした。
 
なぜ公文式を 選んだのかは はっきり覚えていません。
ただ 私は とら君のためになにかしたくて そして なにをしたらいいのかわからなかったのです。
 
公文式の教室へ行った初日 とら君はそれまで数字など教えたことがなかったのに いきなり 1から30までの数字を正確に並べて 私を驚かせ そして喜ばせました。
この教室には 半年くらい通ったでしょうか。
とら君が 幼稚園に通いだしたのをきっかけに一度やめました。
 
そして 転居。
ここでは 公文式には通いませんでした。
 
さらに 転居。
ここでは とら君 みけ君ふたりとも 「つくしんぼ教室」というしょうがい児だけの 公文式教室に 週1回3年間通いました。
車で片道40分かかりましたが。
 
次の転居先でも 「つくしんぼ教室」を 探しましたが 通える範囲ではなかったので 普通の公文式の教室に入りました。
ここは 5年通いました。
 
そして 今は 最後の教室の先生とプリントのやり取りという通信講座みたいなことをしています。
 
公文式をしていて よかったと思うのは ふたりとも字の読み書き 計算などができるようになりました。
落ち着いて机に向かうという習慣も 身につきました。
 
もちろん うちの子たちに公文式学習をさせることに 批判的なご意見がなかったわけじゃありません。
「中途半端に字の読み書きや計算ができたって仕方ない」と 言われたこともあります。
そのときの 私の答えは 「なにかができるようになったことが その子の将来に どんな役に立つのか あるいは役に立たないのか 誰にもわからないでしょう。
私は 親として 子どもたちに 今できるせいいっぱいを してあげたいのです」でした。
 
別に 親としてしてあげたいことが 公文式に限るといってるわけじゃありません。
ただ 私が子どもたちのためにと 選んだことのうちのひとつが公文式だったということです。
 
公文式が うちの子たちに向いていたと 思われる点は
個人の習熟度にあわせた指導であるということ。
一人一人の 学力の伸びをグラフにしてくれるので私にも 子どもたちの成長が目に見えてよかったです。
 
理屈からはいるのではなく 最初はカードやパズルで目で見て覚えるということ。
 
プリントの 枚数が決まっているので 終わりの見通しが立てやすかったなどでしょうか。
 
反対に あまりよくなかったと思われるのは 普通の教室へ通っていたとき 先生がたは とてもうちの子どもたちのことを理解してくださっていましたが 他の健常の子たちが しょうがいに理解のないことばをはくことがあったことです。
 
この点では しょうがい児だけの 「つくしんぼ教室」が もっとたくさんあったら いいのにと思わずにはいられませんでした。
 
ともあれ 子どものために何かしたいという親の気持ち そして ほめられたいという子どもの気持ち 両方を満たす方法のひとつとして 公文式について書いてみました。
 
日本公文教育研究会のHPは こちらです。
 
http://www.kumon.ne.jp/index.html
 
私のHPの りんくのコーナーにも リンクしてあります。
 
更新日時:
2003/02/06

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Last updated: 07/12/02

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