最悪の選択
しょうがいをもった我が子の将来を悲観して 
親が我が子を手にかけた時 
あるいは 自らも一緒に 「親子心中」をしてしまった時 
「最悪の選択」を してしまったといわれます。
確かに これ以上ないくらい「不幸な選択」です。
 
でも 「最悪」という言い方は 
私には 当事者外の人が 
どこか 傍から眺めてというニュアンスが 
どうしても感じられてしまうのです。
 
だれが 我が子のために 「最悪」を選ぶでしょうか。
傍から見たら それは 「最悪」でも 
当事者にとっては それは 
それしかない「唯一の選択」だったのだと思われるのです。
その選択肢しか もう 見えなかったのです。
 
もし 「最悪の選択肢」より 少しでも ましな「悪の選択肢」でも あれば 
そちらを選んでいたかもしれない。
でも 疲れきった心には 
もう その「最悪の選択肢」しか 見えなかったのです。
 
そして その「最悪の選択肢」に 
まるで疲れきった子どもが 欲も得もなく眠り込むように 
倒れ崩れ落ちていかれるのでしょう。
 
だから そうならないためにも 
傍の人 特に 専門家といわれる方は 
「がんばりなさい」とか「元気だして」とか 
ただ励ますだけじゃなく 具体的に 現実的に
最悪以外の選択肢を提示してほしいです。
 
それは 「最善(ベスト)の選択肢」からは
程遠いかもしれない。
でも ベストでなくても ベター。
「最悪」以外の 具体的・現実的な選択肢を 
いくつもいくつも提示してくれて 
「道は まだ これだけたくさんあります。
一緒にがんばりましょう。お手伝いします」
と言ってくれる人がいたら。
そういう制度があったら。 
「最悪の選択肢」が 「唯一の選択肢」だったいう 
悲劇は避けられるのではと 切に思うのです。
 
更新日時:
2004.07.06 Tue.

改善ではなく
私は しょうがいは 本人にとっての 「生き難さ」だと思っています。
しょうがいは 「悪い」ことではありません。
だから 私は しょうがいを 「改善」するという言い方が
好きではありません。
しょうがいは 「生き難さ」なのだから 
本人たちが 少しでも 「生きやすく」なるように 
私は こどもたちのしょうがいを 「改善」するのではなく
子どもたちが 生きるための 「支援(フォロー)」を したいのです。
更新日時:
2004.07.12 Mon.

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Last updated: 11/09/09

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